ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

姜尚中さんの講演会

2月15日(火)に、日曜美術館や「オモニ」や「悩む力」で有名な姜尚中さんが、ホテルオークラ神戸で講演するみたいです。
参加募集は250名だそうです。
申込は、下のURLから行えるみたいです。

http://www.hyogo-ip.or.jp/info/modtreepage01_7302/modtreepage01_7344/

小生、悩む力を読んで、こんなに柔らかくて優しい学者がいることを驚いたんです。
彼の書いた学術書は、結構難しいんですけど、「悩む力」は、力が抜けていて読みやすい一方、心が救われたような言葉を一杯いただいたような気がするほど、心が軽くなったのを覚えています。

追記

兵庫県国際交流協会設立20周年
地球市民シンポジウム 基調講演(記録)

講師 姜尚中東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授)

 基調講演を依頼され、緊張している。先ほど、竹沢教授を中心に打合せをし資料も整えたが、45分の時間はあるが、できるだけ短くし、後のシンポジウムで話していきたい。
 震災から16年が経った。震災が起きたら通常は社会秩序が崩壊するため、多くの場合は暴力的な被害が多くなる、治安が乱れると考えられている。しかし、震災共同体といって、人々は不安感や不信感によって、否定的な行動より、むしろお互いに助け合うことが起きると、ある人が唱えている。神戸は部分的には色々な事があったと思うが、多くの人が震災の中で助け合う方向いったのは驚きであったという人が、私の周りに多くいた。そういう点で、神戸は地域の共生社会のグローバルスタンダードになるのではなかいと思う。また、ここで生まれたモデルが、韓国や中国、アジアに広がっていってほしいという願いを持っている。16年前に起きた震災で6千人以上の方が亡くなられ、私の後輩も行方不明のままである。16年前の震災は、人の一生を大きく変え、今も余韻を残しているが、その中で、皆さんは神戸の復興にご尽力されてきたのだと思う。だからこそ、神戸から地域の共生について、日本全体の、アジアのスタンダードになるようなものを作っていただきたい。そのことが、神戸を魅力的な都市にしていくだろう。

 私は熊本に生まれた。県知事は、筑波大学で竹沢先生の同僚であり、後に東京大学に移られた蒲島(かばしま)さんであるが、最近、蒲島さんに依頼されて頻繁に熊本へ帰っている。私自身にとって熊本は愛郷の地である。愛郷、パトリオティズム愛国心)というのは本来、愛国主義ではなく愛郷主義という意味で、自分が生まれた故郷または自分が生きている場所への愛着のことだが、多くの場合は生まれ故郷のことである。それは、自分の父や母、家族との記憶の場所であるからであり、人々はどんなに離れていても、その故郷を思うものである。神戸で生まれ、神戸で育ち、神戸に色々なゆかりを持つ人は、地球の裏側にいても、神戸という名前を聞くだけで、故郷のイメージを持つものである。地域社会は、そういう人(愛郷心を抱く人)が担っていくことで活力が生まれると思う。私自身も熊本への愛着が人一倍強い。それは、自分の父母がそこで私を育ててくれた記憶が生きているからである。なので、遠く東京に住んではいるが、頼まれて熊本に行っている。熊本でも、先ほど知事の話にもあったが、魅力ある地域にしよう、人々に沢山来てもらおうと、色々と知恵を絞っている。おそらく日本全国の地域社会が、そのような工夫をしていると思う。

 今、神戸は150万人以上の人口を有しているが、私にとっては大きな街である。政令市の熊本市では、73万人ぐらいしかいない。博多で130万人、それを考えると、神戸は大きな街である。また神戸には、歴史的な層もある、移民の歴史を含めてである。兵庫県には100以上の外国籍の方が住んでいる。この市を抱える兵庫県で、共生社会を作ろうというのは、非常に良いことだと考えている。

 私個人として考えると、肉離れしているというか、日本と韓国は、私にとって生みの親と育ての親のようなものである。生みの親と育ての親の仲が悪いことで、随分苦しんだ。生みの親と育ての親には仲良くしてほしい。国籍は人をあちら側こちら側に分別していくが、その中で無国籍者は大変だ。幸か不幸か、人は国があって居場所がある。今、私が無国籍者になれば、地球上を彷徨わなければならない。松本清張の小説に『球形の荒野』というのがある。戦争中に日本を平和な道へ導こうとして色々な停戦工作を行う外交官が、戦後、表舞台に立つこともなく亡くなってしまう。亡くなる前に「私にとって地球は荒野のようなものだ」と言うが、国がないというのは個人にとって大変なことか、それが描かれている。国があるから、私たちはパスポートを持って海外に行ける。その意味で、国の存在が前提で、それが国籍になる。その甲羅を背負って、人は生きていくのである。人は国籍が付きまとう、あたかも甲羅の様である。その人がどの人かというのは、国籍が決めるのである。兵庫県には100以上の甲羅を持った人々が住んでいるのであり、そこには文化があり、伝統があり、その人の背景には様々な社会の匂い、色などがまとわりついている。そういう背景を持った人々が一つの地域社会に住んでいるのである。それは、ある意味で多文化共生という意味を持つ。文化は、人が否応なしに父親母親から受け継がなければならない甲羅である。そういう甲羅ができるだけ、地域社会の中で7色に輝けば、一番いい。これは理想である。残念ながら、この地球上では、日本以外の国を見ても、様々な問題がある。これは、どの地域でも寛容性がないからである。神戸に来れば、どんな違いのある人でも、そこで寛容に受け止めてもらえることが大事である。

 世界では、比較的寛容な社会だといわれたオランダや北欧においても。今は様々な規制がある。フランスにおいても、多文化共生社会というよりは、逆ベクトルが働いている先進国もある。一言で言うと、グローバルスタンダードというか、これで行えば間違いないというマジックワードがない。しかし、間違いなく寛容性が国や社会の中から消え失せつつある、そういう現状がある。しかし、もう一方で、今、多様性という言葉がキーワードになってきている。生物多様性を含め、人間の社会は多様でなくてはならない。多様であることで人々は活かされ、結果として社会が非常にいい方向性に向かっていく。多様性という言葉は、英語でダイバーシティ(diversity)という。離婚はディボース(divorce)といい、語源は同じであったと思う。つまり多様性という言葉には、人々が交わるという意味のもう一方で、バラバラになることも示唆している。それを避けるには、絆が必要である。植物も含め生物の世界には食物連鎖がある。これは厳しい現実だが、連鎖がある。鎖でつながっている、それにより多様性が維持されている。人間の社会も多様性が必要である。それは同時に、鎖で何かと結びついていかない。幸か不幸か、その鎖が何であるかを、まだ見つけ出せていない。一つの宗教、人種、民族、固定的な文化、誰もが絶対的に守るルールがあるなら、いとも簡単に見るけることができるだろう。それは人々を結びつける鎖となるだろう。バラバラになりがちな多様性の社会にある色々な面を結びつけていくための鎖が必要である。

 おそらく私たちが、共生社会とか多文化とか多様性とかについて、どのようにしたらいいのかを考えた場合、地球上のすべての社会が戸惑い、迷う。どうすれば、イスラームとキリストが共存できるのか、異なった宗教、異なったアイデンティティを持った人々が、どうやったら共存できるのか。これは本当に難しい課題である。この回答の原型として、フランス、イギリス、アメリカを指すならば、イギリスですら、うまくいっていない。フランスに行けば、一つの国民というのが大原則であり、学校でイスラーム系のスカーフを付けることは公共ルールから外れるため問題が起きる。アメリカ、カナダ、オーストラリアにおいても同じである。つまり、多文化共生社会を作ろうというのはいいことだが、現実の歩みの中ではいろんな問題が生じている。にもかかわらず、私たちは、多様性と人と人を結びつける鎖、絆をなんとか見つけ、融和できる社会を作ろうとしている。そういう社会ができれば、非常に魅力的な社会になる。そして人々はそこに訪れようとするだろうし、そこに住まいを作り住もうとするだろう。外からやってきた人も、その中で社会の一員となってその社会を支えようとするだろう。おそらく、寛容でない社会には、外側から来る人は一時的にはいるかもしれない。金儲けのため、ビジネスチャンスの為に。しかし、一時的にやってきても住もうとしない。ビジネスチャンスが終われば、いなくなる。

 人は、そこに住むだけの魅力を感じてその社会に生き、包み込まれ、その社会を支えようという内側から湧いてくる気持ちがあったときに初めて、その地域のパトリオット(patriot:愛国者)になる。自分の故郷になるのである。東京も故郷がある。路地裏には人々の故郷がある。どんな都会でも田舎でも、自分がその地域のパトリオットになる、愛着が持てるような地域社会にしていくことが大切だろう。
そういう意味で、神戸は、あの大震災に遭い、その中で様々な国籍を持った人々がなんとかお互いに助け合ってきたという、近代日本の歴史の中で全世界的に見ても珍しい歴史を潜り抜けた都市として、意味があると私は思う。

 それを考えると、私は神戸が(多文化共生社会の)スタンダードになるのではないかと思う。人口150万人の都市でインフラが根源的に崩壊していくような災いは、戦災以外になかった。空襲による戦災で、100万、200万人の都市が朽ち果てることはあっただろう。ドレスデンドイツ連邦共和国ザクセン州の州都)や東京大空襲では10万人以上が亡くなったと言われている。しかし、平和な社会の中で、ある日突然、数千人の方が亡くなり、今でも行方不明者がいる記憶を抱えている神戸において、多様な国籍を持ち、多様な文化を持ち、多様な背景を持っていた人々が、あの震災では、互いを承認しあった。これは、意味があることである。残念ながら、関東大震災では、そうならなかった。悲惨な事が起きた。しかし、神戸では起こらなかった。その意味で、神戸の持っている意味があると思う。その点では、神戸が、今まで私が言っていたような社会になってほしい。

 日本の中には、私のように、日本で生まれた在日のコリアン系、中国系の人がいる。このあと登場するドイツから来た人もいる。ベネズェーラと関係の深い人もいる。日本には、様々な多様性を持ったマイノリティがいるが、私は、マイノリティを限界事例と見るのではなく、よくよく翻ってみると、私たち日本の社会の中では、多様性と人への思いやりが益々希薄になっている一事例だと感じる。
 昨年、NHKで無縁死の社会が取り上げられた。無縁死の方は官報で不詳と書かれる。こういった人が昨年だけで、3万2千人に上った。年齢が100歳以上になっても、その人がどうなっているかわからず、その人の家族が年金をもらっていた例が判明し、全国が驚いた。多文化共生社会という時に、アウトサイダーからインサイダーに入ってきた人、アウトサイダーからニューカマーとしてやってきた人、そういう人々だけが問題にされがちだが、それを鏡にして、自分たちの足元を見てほしい。他者への関心、無縁死というものが日本で3万人以上も起こっている社会になっているのは、人をつなぎとめている鎖が無くなっていると思う。なぜこうなったのかを考えないといけない。

 16年前の悲劇がなければ、それはその方がいい。人が亡くならなかった訳であるから。しかし、なかったとしたら、人と人の絆がどんなに大切なのかを、神戸の市民の一人ひとりが実感できなかっただろう。大切なのは、人間と人間を結びつける絆を、もう一回作り出していくことだ。そしてその先に、外から来た人を自分たちの社会に受け入れられるようになっていくのではないだろうか。自分たちの社会の中の他者に対して受け入れることができないのに、どうして外から来る人に寛容になれるだろうか。自分たちの社会の中に格差があり、様々な人々が対立し、憎悪し、妬む、そんな悪意に満ちた社会であるなら、外からやってきた人々や、違う国籍の人を、寛容に受け入れられる訳はない。多文化共生社会というのは、口当たりのよいものではない。世界が国境を越えて大きく変わりつつある今、ある意味において不安である。失業、雇用、格差、少子高齢化産業基盤、過疎化の問題を抱える中で、自分たちが知らない人々が外から入ってくることに対し、セキュリティ、リスク問題が出てくる。こうした中、日本人は殻にこもりがちである。殻にこもり自分たちの城を築き、他者を受け入れようとしない傾向もある。神戸はそうでないかもしれないが、日本全体ではそういう傾向がある。世界中にもある。

 私たちは股裂きにあっている状態かもしれない。グローバル化しないといけない、世界に開かれなければならない、多種多様なものを受入なければならないと言われる。しかし、受け入れると様々なウィルスが入ってくる。口蹄疫が入るかもしれないし、治安がみだれるかもしれない。だが、自分たちの城に閉じこもれば、安楽かもしれないが、それはジリ貧を目指すことになるかもしれないのである。この2つのベクトルの中で、私たちは色々と考え込んでいるのが、全般的に見られる傾向だと思う。

地球市民社会に向かうためには、まず自分の足元に井戸を掘らないといけない。井戸を掘れば、必ず開かれた社会に向かっていけるに違いない。かつて、神戸は移民を送り出していた地域である。広島、熊本、沖縄の出身者が多いが、日本は、戦前から人を海外へ送り出してきた。三井三池炭鉱(福岡県、熊本県)はエネルギー転換政策の影響で閉鎖となったが、私は、ドイツで、その炭鉱で働いていた子孫にあった。東ドイツの炭鉱へ、出稼ぎ労働者として働いていたのである。非常に不思議な感じがした。
神戸はもともと開かれた街として発展してきた。若い人には、こういう神戸の場所、歴史を知ってほしい。そのことが、かつて神戸から旅立った人々を、今、受け入れられる寛容な気持ちにつながるのではないかと思う。

 グローバル化で、良いとこ取りはできない。韓国では口蹄疫鳥インフルエンザで大量の動物を殺処分した。10年、20年前だと起こらなかった現象だ。社会が開かれることは、その社会にとって入ってきてほしくないものも入ってくることでもある。鎖国の時代であれば、出島や居留地を作って、防止できた。日本はそうした。しかし、グローバル化は、社会全体が居留地になるようなものだ。ダイレクトに、異なったもの、異質なものとの接合面が日常的に増える。そのことは、必ず、その地域の人にとって否定的なものを自分の中に入れることに繋がる。この状態では、私は、寛容でなければならないと思う。寛容になるにはどうすればいいか。耐性を強めることだ。どうしたら耐性を強められるのか、このことを、今日のシンポジウムで考えていきたいし、私たちの経験を踏まえて話をしていきたい。私は、自らの耐性が強める中で、地域社会の可能性を感じることができた。

 5年前、トヨタ財団で地域社会プログラムを作った。2年間かけてプログラムを作成したが、キーワードは地域。グローバリゼーションは、ローカリゼーションに繋がっているはずだと。国家の役割以上にローカルとグローバルが、どう結びつくか考えようとした。それで地域社会プログラムを作った。
 このプログラムの作成を通して、私は、日本は涙ぐましい努力が、あちらこちらの地域で起こっていることを知った。外国人や、日本語が話せない日系の人たちを、災害が起こったときにどう支援するのか、医療の手当てをどうするのか、その人たちの精神的苦痛をどうするのか。こういう事を知ったのである。
 日本は多様性に富んだ社会である。韓国から見ると、都道府県だけで50近くある。このように多様性がある日本で、東京だけがスタンダードであるはずがない。関西、神戸が一つのモデルとなってほしい。
多様性だけでなく、ヒューマンチェーンをどうやって作りだしてこの社会を魅力あるものにし、寛容性のある社会にしてくのか、そのために絞れる知恵を、この後のパネルディスカッションで議論していきたい。
(終了)