ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

絶望と希望の狭間で描かれる「沈まぬ太陽」

今週のお題「名作」

この作品のことは、随分前にもブログで書きました。

 

tomhoo.hateblo.jp

 

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とにかく、会社ってなんだ。組織ってなんだ。人生ってなんだ。

そんなことを何度も繰り返し考えさせられる作品です。

山崎豊子さんは、作品を描くときにモデルとなる人物を徹底的に取材していく手法を取るため、フィクションでありながらノンフィクションでもある小説を書かれる方でした。

Copilotによる「山崎豊子」まとめ

山崎豊子さんは、1924年1月2日に大阪市で生まれた日本の小説家です。彼女の本名は杉本豊子といいます。山崎さんは、大阪の船場出身で、老舗の昆布屋「小倉屋山本」の家庭に育ちました。彼女は旧制相愛高等女学校(現・相愛中学校・高等学校)と旧制京都女子専門学校(現・京都女子大学)を卒業後、毎日新聞社に入社しました。
作家としてのデビューは1957年で、生家の昆布屋をモデルにした『暖簾』を刊行し、これが映画やドラマにもなりました。翌年には、吉本興業の創業者・吉本せいをモデルにした『花のれん』で第39回直木賞を受賞し、作家としての地位を確立しました。その後も、『白い巨塔』や『華麗なる一族』など、多くの代表作があり、これらは映画化やドラマ化もされています。
山崎さんの作品は、大阪の風俗や商人の精神、戦争の非人間性など、社会問題をテーマにしたものが多く、彼女の鋭い社会派の視点が反映されています。また、彼女は作家活動を通じて、日本に帰国した中国残留孤児の子供たちの学資を援助するなど、社会貢献も行っていました。
2013年9月29日に89歳で亡くなった山崎豊子さんは、没後も多くの人々に影響を与え続けており、彼女の作品は今なお読み継がれています。

今日はメーデー(連合系)です

沈まぬ太陽の舞台は、日本航空労働組合です

昭和40年代の労使関係がどのようなものだったのか、学生運動を卒業した全学連幹部が大手企業に就職して「更生」する中、なぜ主人公は労組の幹部を引き受け最終手段のスト権を実行したのか

こういうことは、歴史として引き継いでいかないといけないと思います(私は活動家ではありませんが、最近の新資本主義からの脱却を進めようとする動きを見て、やはりこれまでの資本主義は行き過ぎだし、人々を苦労させてきただけだったのかもとも思うようになっています)

しかし時間というのは本当に恐ろしいもので、15年前にはインターネットで読むことが可能だった御巣鷹山のJAL123便墜落事故に関する当事者のホームページが、軒並み消えています

ご本人がお亡くなりになったことが多くの原因だと思いますが、しかし、少なくとも沈まぬ太陽の主人公である恩地元のモデルとなった小倉寛太郎さんの東大での講演記録なども消えてしまっているのは、本当に悔しいです(と思ったら他のサイトに移植されていました。この下のリンクの一番下をクリック。よかった。ぜひ読んでほしい。特に東大現役生には(共産系団体のサイトだからと毛嫌いせずに。小倉さんは、本当に東大にあって東大の人です)

小倉寛太郎さんについて(Copiltまとめ)

1930年生まれで2002年に亡くなった日本の重要な人物です。彼は日本航空労働組合の元委員長として知られており、山崎豊子の著書『沈まぬ太陽』の主人公・恩地元のモデルとされています。
彼の生涯は多岐にわたります。台北で生まれ、湘南中学校を経て東京大学法学部を卒業しました。大学在学中には、駒場祭の創設に関わり、初代委員長を務めました。その後、AIU保険会社(後のAIG損害保険)に入社し、4年後に退職して日本航空に入社しました。
日本航空での労働組合委員長としての彼の活動は、1960年代前半に低賃金で酷使されていた労働者の賃上げなどを要求し、経営陣と激しく対立しました。彼は日本航空初のストライキを指導し、皇室フライトでのストライキを決行するなど、労働者の権利のために戦いました。
また、彼はアフリカ研究家、動物写真家、随筆家としても活躍し、ケニア政府とウガンダ政府から野生生物保全管理官(名誉ウォーデン)に任命されました。彼の著書には、『フィールドガイド・アフリカ野生動物』や『東アフリカの鳥』などがあります1。
小倉寛太郎は、その生き方と信念で多くの人々に影響を与え、今もなお多くの人々に記憶されています。彼の遺した足跡は、日本の労働運動だけでなく、アフリカ研究や自然保護の分野においても重要なものです。

参考

69小倉寛太郎お別れの会

実録 「沈まぬ太陽」アフリカ編 - J4 - JAL Flight Crew Unions -

弁護士会の読書:「小倉寛太郎さんに聞く」

日航社内報で「沈まぬ太陽」批判 小倉寛太郎さんのこと 分裂・差別の労務政策は日航経営危機の根源 - プロメテウスの政治経済コラム

1999年駒場祭講演会・小倉寛太郎「私の歩んできた道」 - みんせい東大駒場

A Japanese male aircraft maintenance engineer in action

この作品は、実際に起こった御巣鷹山の墜落事故の模様が、ノンフィクションで書かれています

私の記憶では、このシーンだけはノンフィクションとして後世に伝えないといけないとの信念から、山崎豊子さんが決断して書いたものです

生き残った3名の女性の証言も出てきます

この事故は、私も小さかったときにテレビで見て衝撃を覚えています

事故から日が経つほど、事故原因が明らかになってきました。客室と飛行機の外壁の間にある隔壁に亀裂があり、それが運航中に壊れ、操縦系統のあらゆる機械が操作不能となり、アンコントローラブル、ダッチロール飛行となり、墜落しましたということがわかってきました

事故当時は米軍も救援支援に向かうなど、世界的にも注目される大きな事故でした

そして日数を経るごとに、どうも整備不良が原因ではないか、そもそも日航労務管理が不適切で過重労働の末に起こった事故ではなかったのかと報道されるようになりました

そこには、政財界の天下り先としての日航という顔があり、マネージメントをしない高級官僚的な役員たちと現場との軋轢、そして小倉さんをはじめ非御用組合の組合員たちへの陰湿な報復人事の存在が明らかになってきました

そうした中で、先日ご逝去された元鐘紡の会長、伊藤傑さんが政府の要請に基づいて日航の社長になり、その秘書官として小倉さんを抜擢しました

こうしたことを、私は沈まず太陽を読んで初めて知り、そして自分で色々な文献を当たり、どれがフィクションでどれがノンフィクションなのかを判断するようになってきました

雨の日にカフェの窓際で小説を読む女子大生のリアルな表情

まだまだ書きたいことはたくさんあります

この作品は、これからの人生を考えるために重要な本だと思います

名作です、間違いなく

ぜひお読みください

長編ですが、本当にすぐに読めてしまいます

そして泣けます

そして怒ります

そして感動します