ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

残念、星野ジャパン

韓国には、どうしても勝てないようですね。しかし、8回の裏は打順から考えても惜しげなく上原投入が正攻法だと思ったんですが・・・。
今回は、最初から星野さんらしさ・エネルギーが感じられなかったのは、私だけでしょうか?何か元気がないというか、燃える闘魂が感じられなかったというか・・・やりにくかった事が多々あったんでしょうね。そんな風に今は感じてしまいます。
韓国は、ワールドクラッシックベースボールの敗北から、今回のオリンピックに向けた挙国一致体制をとっていました。日本はどうだったんでしょうか。長島さんの病魔にはじまり、投入予定選手の故障、大リーガー不参加のための戦力ダウンなど、色々敗北の要因はあると思います。
さて話はちょっと逸れますが、ちょっと視点を換えて、私は今回の五輪から、次のような考え方を発表したい。
「中途半端なプロ集団が参加する五輪より、スポーツ馬鹿が集まって大騒ぎする五輪のほうが面白いし、感動も多い」
そもそも、オリンピックは、プロ意識をはずして純粋なスポーツ競技を楽しむ祭典のはずです。そんなこと、JOCはちゃんと考えているでしょうか?金メダルは素晴らしいですが、本当はそれを目指す人間の力や努力の素晴らしさに感動を覚えるもので、金メダルありきのチーム編成では感動もなにもありません。今回いろんな試合を見ていて思ったのですが、多くの競技が「面白い」と思わなかったんです。ボルトや室伏には、結果はそれぞれ違いましたが、痛快さや面白さがありました。日本女子ソフトボールの試合は、肌が震えるほどの感動を覚えました。しかし、金メダルを得ながらも、何か心から感動を感じられる選手にも多く出会いました。競技の内容は見た目も美しく流石と思えるのですが、なんだか「ビデオゲーム」を見ているような感じを沢山感じました。
これは何なんでしょうか。
ヒントは、ある新聞に書いてありました。ある新聞に「官製五輪」などと揶揄してありました。あまりにも綺麗に作り上げられすぎ、人間臭さみたいなものが薄いように感じます。日本の野球チームの話にもどせば、五輪という舞台で予定外の感動を呼び起こす競技をするため、チーム編成は「ストラウクアウト型」で公募したらよかったのではと思います。社会人チームにも凄い選手はいます。甲子園には出られなかったけど、凄い潜在能力を持つ高校生もいます。こういった人が能力を発揮し、また進化できる場として五輪に出場させてあげることは、ジャパンドリーム、すべての人が夢を共有し実現できる可能性をもつ日本の実現につながると思います。その人たちの活躍は、きっと予期せぬ感動を与えてくれることでしょう。高校野球やバレーがそうであるように。一部の人が作り上げる「官製」チームでは、金メダルを取れても感動を得ることはできないと思います。
今後のJOCの取り組みに期待したいと思います。