ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

槇原敬之「遠く遠く」

さきほど買い物に行く車の中で、槇原敬之の「遠く遠く」が流れた。

この曲には思い出がある。

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大学を卒業するタイミングで、付き合っていた彼女は就職で山口へ、小生は東京へ。

そのタイミングでわかれてしまったが、その彼女が好きだったのが槇原敬之で、彼女のすきだったアルバムにこの曲があった。

新大阪から新幹線で東京へ向かう道中、この曲が流れた。

もう二度と会うことのない彼女。わかれたことの後悔はあった。

もっとやさしくできたんじゃないかなと。

そんなことを思いながら東京駅に着いたのを思い出す。

それからしばらく経って、会社を辞めて関西に帰ってくることに。

同期が送別会を開いてくれて、みんなが励ましてくれるようにウルフルズの「ガッツだぜ」を歌ってくれた。

そのお返しに歌ったのが「遠く遠く」。

この歌の内容は、俺の本心そのものだった。

俺、元気で頑張って、みんなに俺が元気な姿、どうにかして見てもらえるように頑張るから!ありがとーな!

歌った後、こんなことを叫んでいたように思う。

いい同期達だった。彼らがいなければ秋川渓谷なんて知らないまま東京を去るところだったし、寂しい一人暮らしをする俺をデートに誘ってくれた同期もいた。送別会には来なかったけど(別の日に二人でお別れ会)。

それを今日、車の中で思い出した。

人事異動の季節なので、色々と不安にかられている俺だったが、この曲を聴いて、「今、なにを悩んでいたんだろう」って、自分自身に笑ってしまった。

そうだよ。俺、家族のためとか、俺自身のためとか、世の中のためとか、そんな事より、まず、あの会社の同期達に、俺が元気で、相変わらず、何も変わらず、馬鹿みたいに明るくやってるよ!って、見せなきゃいけない。

初めて就職した時の気持ちを思い出させてくれた「遠く遠く」。

一人暮らしを始める人たちよ。是非聞いて欲しい。

【お花見番外編】ヒヤシンス

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撮れたてホヤホヤのヒヤシンスを一枚アップ。

梅が散り始め、桜の蕾がほころび出している今、梅桜の撮影は小休憩。

そこで今朝、庭の様子をみたら、いつも間にかヒアシンスが満開に。

今日は、お花見番外編として、お庭の華麗なヒアシンスを鑑賞。

ニコンD3300にタム9とリングライトをセットして半逆光の状態で撮影。

<撮影メモ>ISO 400 f13 1/80sec

片恋のわが世さみしくヒヤシンスうすむらさきににほひそめけり(芥川龍之介

文豪、芥川龍之介は多くの短歌を残しているが、結構、恋にまつわる詩が多い。

この短歌では片想いの寂しさをヒアシンスに投影している。これにはヒヤシンスの名前の由来となったギリシャ神話が関係している。

太陽の神アポロンと西風の神ゼピュロスは、スパルタの王子美少年ヒアキントスに恋していた。ある日、アポロンと鉄輪投げをしていたヒアキントスに嫉妬爆発したゼピュロスは風を操りアポロンの投げた鉄輪をヒアキントスの額に当てて殺してしまった。悲しんだアポロンは「皆がヒアキントスの名を永遠に忘れぬように」と祈ると、ヒアキントスの額から流れ出した血から紫色のヒヤシンスが生まれた。

ヒヤシンスの花言葉は、「悲しみ」「悲哀」「初恋のひたむきさ」。ギリシャ神話の悲しいストーリーそのままだ。

ヒヤシンスには、毒がある。恋愛には毒が必要。最初からうまくいく恋愛なんてない。どこかに毒があって、その毒にいつか麻痺してしまってご飯も食べられなくなる。恋の病だ。初恋のひたむきさって、まさにこのことなのかもしれない。

お題「お花見」

梅か桜か

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皆さんは、花見と言えば桜ですか?梅ですか?

古典文学を紐解くと、和歌で詠まれる春の花といえば圧倒的に梅が多い。

桜が本格的に文学で取り上げられてくるのは、江戸以降。

前回のブログでも書いたが、桜が文学的にとりあげられるアイテムになったのは、ソメイヨシノが出てきた江戸時代以降のようだ。しかも、明治から昭和にかけてのキナ臭い時代においては、同期の桜だの、美しく散るだの、そんな使われ方で桜が春の象徴のように使われた。

現在の我々は、総じていうと、桜に春を感じる。

何故だろう。

単純に考えると、梅のある場所が桜に比べて圧倒的に少ないのだ。

京都には桜も梅も両方あるが、実は寺社仏閣の花の名所ということになると、梅の名所が多い。北野天満宮などは、その象徴。

兵庫の神戸では、梅の名所といえば岡本という場所。ここの梅は有名。吉野の桜、岡本の梅と言われているぐらいである。

梅と桜では、人々はどのような印象の違いを持っているのだろうか。

梅が咲くころ、人々はとっても寒い季節を乗り越えた「喜び」を感じる。

梅は春の訪れを告げる花であり、メジロをはじめ、冬ごもりを終えた野鳥たちがやってくる場所でもある。我々はそれを歓迎して喜ぶのである。

では、桜はどうか。

イメージとしては、桜は卒業とか別れ、人生の節目。卒業式の桜。親元を離れて初めて下宿した先に咲く桜。病室から見える桜。

これまでの過去を断ち切り、新しい一歩を踏み出す状態。不安だし、勇気もいるし、なにせ寂しい。なんとも切ない気持ちを思い起こさせるのが桜なのだと思う。

もちろん、別れの次には出会いもあるわけで、新たな旅立ちに花を添えるのも桜。今の日本人が桜が好きなのは、今の時代の節目(入社とか卒業とか退職とか)に一番目につく花だからなのかもしれない。

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今年は2月末まで寒かったので、梅はまだ咲いている。

今週から急激に暖かくなったので、来週は桜の開花が予想されている。

今年は、梅と桜の競演が楽しめそうだ。

お題「お花見」

20年前の東京・板橋区での話

二十数年前のこと。

京都で大学生活を4年間、一人暮らしをしながら過ごした後、就職で東京へ引っ越し。

場所は板橋区高島平。高層住宅が立ち並ぶ、あの高島平。

田舎から移住してきた小生にとって、日本にはこんなバカでかい人の住む建物があるのだとビックリしたのを思い出す。

小生の新居はワンルーム。ベランダ側の前が駐車場だったので日当たりは良く、風もよく入った。良い部屋だった。

住み始めて最初に街で探したのは、コンビニと食堂、散髪屋。

特に後々に役に立ったのは散髪屋だった。ここのおやじは、たしか秋田から移住してきた人。数十年、板橋区で散髪屋をしているんだと誇らしげに言っていたのを思い出す。

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このおやじ、散発の腕はからしきダメだった(笑)

どんなにアレコレと髪のデザインを頼んでも、すべて江戸っ子仕上がりになる。

いわば地蔵さんスタイル(笑)

関西人の小生は面長なので、江戸っ子スタイルは似合わないと思っていたのだが。おやじには、誰であろうと、江戸っ子スタイルが似合うと確信していたのだろう。

小生、住み始めた街の情報源は、そのおやじから一番多く得た。

ここには書けないが、たとえば安易に行ってはいけない地域がどこであるとか(あぶないらしい)、どこどこの店は安くて美味しいとか。

東京は総じて物価が高いが、逆に激安も沢山ある。名の知られていない凄腕の料理人があいる中華料理屋とかラーメン屋とか。都営三田線高島平駅だったか、西高島平駅だったかの北側にある中華料理屋は、かなり美味しかった。レバニラ炒め定食が最高の店で、千円ジャストで満腹になれた。安月給だった当時の小生にとっては、週に1度のご馳走にありつける店だった。おやじが教えてくれた店ではなかったが。

これから若い人も一人暮らしを始めると思うけど、可能なら個人の理容室か美容室に行って、その街の情報を得ればいいと思う。

かなりコアで確かな情報を得ることができる。情報が沢山手に入ると、街で生きていくのが怖くなくなる。楽しくなる。冒険したくなる。ウロウロしたくなる。人に声をかけてみたくなる。

そういうタイミングが訪れる人生を楽しめるのが、一人暮らしという機会なのだ。

グッドラック!

ねやちかき 梅のにほひに朝な朝な あやしく恋のまさる頃かな 能因法師(後拾遺)

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朝から天気が良かったので、近所の梅園へ撮影に行った。

近所の梅園は、うめを採るために梅の木を植栽しているので、観賞用の梅ほど綺麗な花は少ないが、香りはかなり強い。香りを楽しむならこの梅園が最高だが、撮影となると、なかなか美人に出会えないのだ。しかし個人的には作られた綺麗な美人より、街中のマブイ美人の方が撮影するなら出会いたい被写体なので、この場所は私にとっては最高の梅に出会える可能性がある。

朝一番に出かけたが、すでに数十台の車が駐車場に止まっていて、多くのカメラマンが機材をもって梅園のある山へ向かっていく。

梅園は時間が経つとともに観梅の人が増えてくる。その多くはご年配の夫婦。夫婦らしくないカップルも何組か(笑)。恋は死ぬまで枯れないものなのかもしれない。

梅をテーマに詠まれた詩は沢山ある。短歌も俳句も。

目に留まるのは、なぜか愛別の詩が多い。梅と桜では、私たちが感じる何かが違うのかもしれない。 

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 梅が咲く頃といえば、春の足音が聞こえてくる季節。人というのは、もうすぐ春だなと思うと同時に昔の苦い記憶を思い出すのかもしれない。

というものの、小生の梅にまつわる記憶。ないな・・・本当にない。

桜にまつわる思い出はあるんだけど、梅ってない。

梅若菜鞠子の宿のとろろ汁 (芭蕉) 

 俳句の世界を見ると、春が来たことにまつわる詩が多いように思う。

和歌の世界は、愛別とか亡くなった方への想いを詠んだものが多い。

小生思うに、これはきっと、江戸時代にソメイヨシノが作られて全国に広がったため、春の風物詩が梅から桜に変わったためじゃないかと思っている。

白梅のあと紅梅の深空あり(飯田龍太) 

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今年は、梅の開花が遅かったので、もう少し梅を楽しめそうだ。

小生もそろそろ50歳が見えてきた。これからは少し梅を愛でてみようと思う。

啓蟄(けいちつ)

啓蟄にわが長風邪も出口あり(百合山羽公)

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暖かくなって、土の中で眠っていた虫たちが動き出す季節。啓蟄

中国では驚蟄というらしく、今年は日本より1日早く、3月5日だそうな。

3月5日の日本は、春の嵐が吹き荒れましたな。朝っぱらから、春雷が轟いておりましたわ。台風並みの暴風雨が全国を駆け巡り、低気圧が日本列島を覆っていた本日、小生の息子は熱を出し、小生は頭痛がひどく、二人して休んでおりましたわい。

そんな中、嫁は仕事に。女性活躍社会って感じですな、よい時代になったもんだ。

啓蟄の日に、巣籠して頭を抱えていた旦那と息子のために、婆ば(義母)が巨大なハンバーグを作って差し入れてくれた。ああ、ありがたい。婆ばは料理が大変上手。嫁はなぜ、あの腕前を相伝しないのか、ばかたれ娘だわといつも小生と婆ばは言っているが、当の本人は、何とも思っていないからどうしようもない。

さて、今晩は久しぶりに眠りやすくなる薬を飲んで寝ようかな。低気圧に弱い小生、きっと自律神経がズタズタになっているから飲んで寝た方が良い。

では、おやすみ。

土筆の味

見てすぐる土手の土筆や蓬摘 (子規)

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昔、叔母が自宅の畑で採取してきた土筆を、醤油炒めにして食べさせてくれたことがある。

小さかった小生には、正直ニガイだけであった。

叔母は、なんでも試したがる人だった。

考えたら、まだカメラが一般家庭に普及する前に、ニコンの一眼レフ「F」を持っていたし、一人で旅行に行ったり。今の「おひとり様」を楽しんでおられたようだ。

その叔母に似たのか、私もカメラをやっている。ただ、私の場合は、小学生の高学年からずっと楽しんでいるが。

料理をつくることも好きだ。ただし、嫁が厨房に入るのを大変嫌う。

結婚とは相手との譲り合いだと言う人があるが、自分ばかり譲っていると思うのは、きっと男の勝手だろう。

さて、今日は朝から、近所の河川敷に写真撮影へ向かった。

きれいに雑草がかられた土手に、土筆が1本顔をのぞかせていた。

春が来た。

そう確信した。

土手には、ホオジロとかヒヨドリが、虫や草の芽を突いていた。

来週は啓蟄。今年は暦通りに季節が動いているように思う。

東北や北陸は大雪で大変だろうが、きっと来週には春の足音が聞こえてくるに違いない。