ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

「おや?あれは・・・」


遊歩道を歩いていると、突如、線路に出くわした。かつてのここの住人が、今、当時のアーカイブとして遊歩道を見守っている。
線路は約50mほど残されており、途中、枕木もある。線路のパートナーである列車こそないが、線路を見つめているとガタゴトと電車の鼓動が聞こえてくるようだ。
少し線路に沿って歩くと、線路わきにこの遊歩道のかつての経歴が記された看板があった。

臨港線と書かれたタイトルの下には、行政らしく、事細かに臨港線の説明、歴史が隈なく書かれていた。
私はしばらくそれを読みいっていた。そして、ここの主だった者の歴史をこの看板により初めて知った私は、かつての記憶が他にもないか、辺りを探してみた。
そうすると、こんなものを見つけた。

日本国有鉄道という名前が、かつてこの日本の高度成長時代を支えた輸送組織の栄光を思い出させる。
そうか、国鉄時代の遺物か。
そして、ここが華やかだった頃、神戸港は賑わい、そしてこの線路の近くは高度成長の象徴である製鉄工場が数多く軒を連ねていたのだ。
震災後、この街は復興住宅と兵庫県の国際交流の拠点として再開発された。8000世帯の住民と、WHOやJICAも存在する国際機関が集中する地域に、今、ひっそりとかつての動脈として活躍した「道」が、震災後流入してきた新たな住民の「憩いの道」として、第2の人生を歩みだしたのだ。

遊歩道の終点には、下は片道4車線の国道、上は阪神高速道路神戸線、そして傍らには復興高層住宅がある。
ここの住人は、この街の様変わりをどのように見つめてきたのだろうか。
写真を撮影しながら、そんなことを思いつつ、この場を去った。