ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

GDIという考え方

GDP国内総生産)という言葉を聞いたことはあると思うが、GDIという言葉を聞いたことはあるだろうか。GDIは経済活動のうち、人間にとって幸福につながるものを選択し、それらを経済活動力として数値化したものらしい。GNPは、ある人が誰かと取引などの活動をしたら、内容はともかく経済活動になったものと計算するものだが、GDIは、例えば戦争による特需などは人を不幸にする経済活動であり、高いGDPは必ずしも人にとって歓迎されるものでないという考え方から出てきた発想だ。GDIには、ボランティア活動や家庭内労働も計算の対象となっている。
 世界経済は、100年に一度といわれる不況に入ったと騒がれている。拡張しつづけた経済は、人類が操作可能な経済規模以上に膨れ上がった金融の崩壊が引き金となり、つるべ落としのように不況へと転換した。最近本屋に行くと、「人の不幸は何とやら」という言葉を思い出すほど、人々から希望を失わせる、または恐怖やあせりをあおるかのような書物が一気に並び始めた。ギリシャ神話に、意地悪なゼウスが人間を地上から消滅するため色々な工作をし、人間は不死をはじめ多くのものを失うことになったが、一つだけ「希望」が残ったという話がある。こういう時代だからこそ、希望を抱かせる言葉をのせた本が必要だと思うのだが。
 オバマ米国大統領の演説を聞いて、多くの米国民は涙したという。それは、暗黒の地から勇気をもって脱出しようと民衆にかたりかけたモーゼのように映ったからかもしれない。彼は、希望を米国民に語り、そして与えたのだ。そういう意味で、これからの米国はGDIが高くなっていくかもしれない。
 財政学的アプローチからいくと、社会の構成(システム)は、核に家族があり、核の外にある家族を拡大家族(例えば、○○さん家からみて、自治会は拡大家族にあたる)、そして広域家族(地方自治体とか国とか)によって構成されている。家族は自らの構成員(家族)を守るため、食糧調達を行うが、市場社会が成熟化すると、食糧の糧を得るための通貨を稼ぐため、拡大家族や広域家族に労働力を提供していく。そして広域家族をコントロールする政府は、家族に関する安全・安心を保障するための行動をとる。この意味からいうと、今の雇用悪化に政府が各種の財政出動をおこなうのは、当然ということになる。
 麻生政府は、今、雇用対策、景気対策をあれこれと立案しているが、その考え方は、相変わらず対前年比GDP3%という数字だ。しかし、実態とかけ離れた経済が崩壊した今、対前年でものを考えるのはナンセンスだと思う。これからの世界経済の舞台は中国・インドといわれて久しいが、民族・人権問題を強烈に持つ両国に、そんな過大な期待は禁物だ。そのような地で自由で平等な経済活動が保障されるわけがないからである。
 オバマ政権が経済問題でどう舵を切ろうとしているのかは注目だが、今までのような発想ではないと信じたい。グリーンニューディールは怪しいものだが、少なくともGDIはあがりそうな話である。地球環境がどんどんよくなる経済活動が進めば、自然と共生した本来の人間社会を取り戻すこともできよう。日本も、もうバブリーな経済の再興はあきらめ、国民が皆幸福を感じられる国づくりを目指し、そういった新たな視点で経済政策をうつべきではないだろうか。