カレーに納豆かけたら悪いか?

色々な植物の写真とコラムなどを書いています。植物写真は、ある程度の数をアップしたら1カテゴリーにまとめる予定。

潔癖、硬直、寛容

昨年の今頃、京都大学の入試2次試験でカンニング騒動があったのを覚えていますか?
あんなに騒いでいたのに、今年は関連話題が少ない。
人のうわさも75日、昔の人はよく言ったものです。
みんな忘れるから、その時に傷つけたり傷ついた人も、未来に向かって歩いていけるのかもしれません。
しかし、忘れるからこそ、ちょっと待てよと言いたいことがあります。
昨年の騒動の渦中の学生は、今、どうしているのかわかりませんが、きっと受験出来ずにいるでしょうね。
日本中から攻撃されましたから、世間全部に対して怯えているのではないでしょうか。
昨年の騒動の最中、職場にいた20代後半の人と、騒動の話題で議論したことがありました。
その人は、騒動の渦中の人が逮捕されたことを、「当然です」とキッパリ言い放ちました。
まったく、躊躇なくです。
皆さんは、騒動の最中、どのような気持ちでしたか?

逮捕というのは、こういうことです。

逮捕(たいほ)とは、捜査機関または私人が被疑者の逃亡及び罪証隠滅を防止するため強制的に身柄を拘束する行為をいう。(Wikipedia

逮捕された時点では被疑者であって犯人ではないが、一般大衆は、こう捉える傾向にあると言います。

犯罪を犯した疑いの強い者について、裁判官を納得させられる程度の疎明資料を捜査機関が揃えれば逮捕状が発付されるため、被疑者=犯人ではない。しかし、日本人の大衆意識としては、逮捕は有罪判決と同然、すなわち「逮捕(すること)=有罪(にすること)」が一般的であるとされ、被疑者が身柄を確保されることはしばしば「犯人逮捕」と呼称され、「逮捕された時点で既に有罪が確定」したも同然として認識されているということができ、日本におけるこのイメージが根強く残っている。(Wikipedia

 躊躇なく言った人は、あきらかに「犯人」として「当然」と言い放ちましたが、私が問題にしたいのは、事の重軽を判断せず、感情的に物事のレベルを決めてしまっている自分に気が付かず、躊躇なく「当然」といったことにあります。
 物事には重軽があります。カンニングは良くない。真面目に勉強してきた学生にとって、それは侮辱行為です。また、そのカンニングをした人間が合格したため、真面目な人が第一志望の大学に行けなかったとしたら、精神的な苦痛を一生背負うかもしれません。それは、わかります。しかし一方で、上記の苦痛は一時的なものになる可能性だってあるわけです。
 騒動の人は、警察に引っ捕えられた。罪状は、業務妨害
 普通、犯罪者が逮捕される場合は、一般的に新聞等で見るものから考えて、他人に危害を加えるとか、社会的な毀損や不安を強めるとか、その犯罪行為によって社会全体が揺れ動くような犯罪を犯した場合ではないでしょうか。

犯罪(はんざい、英語:Crime)とは、一般には、法によって禁じられ刑罰が科される根拠となる事実・行為をいうが、それぞれの学問分野においては、より実質的な定義がなされることもある。刑法学上は犯罪を「構成要件に該当し違法かつ有責な行為」と定義することが多い。犯罪について帰責され刑罰の対象となる者は、犯罪者(犯人、英語:Criminals)と呼ばれる。
日本を含む多くの国では、罪刑法定主義が原則とされており、刑法など法典に規定がない行為については犯罪とされない。(Wikipedia

 京都大学カンニング騒動を起こした人は、「業務妨害」が罪状。また、逮捕の適否については、色んな意見がありますが、学者からみた場合、このような意見がスタンダードのようです。

玉井克哉東大教授(知的財産法)が緊急寄稿(現代ビジネスより)

 大学側は、最初は「組織犯罪」としての疑いから警察沙汰にした。だから、逮捕は間違っていない、ということのようです。
 なるほど、と一瞬思いました。法制度からいったら正論でしょう。
 しかし、やはり引っかかります。本当に「組織犯罪」と思ったんでしょうか?あんな短期間にどんな調査をして、その結論に至ったんでしょうか。未熟な人間がした過ちの行為、しかも入試という場面では、それを運営・管理する大人なら十分想定できる範囲の過ちの行為ですよね。大のおとなが、警察沙汰にするなんて、しかも旧帝国大学の連中がするような事でしょうか?冷静に時間をかけて一番よい方法を探った上で対処すべきだったんではないでしょうか。
 この騒動について、私は、「こんな不正、けしからん!試験をなんと思っておるんだ!」という目線に加え、もう一つの目線が引き金になっているように思います。
 「京都大学ブランドのイメージ低下」→こんな人間が入ってくるような大学は、ろくな大学でない!勉強をいっぱいして賢くなった大事な子供を預けられない!なんて学生を持つ親に思われたら、ブランドイメージが落ちて受験する学生が減ってしまう。はやく手を打たなければ・・・こんな目線もあったんじゃないかと思うんです。だから、間髪入れずに警察沙汰にして、その後で合格発表に持っていった。このことで、明瞭かつ公平な状況で優秀な学生が集まった大学を演出できるわけです。

 今、学生は減り続け、20年ほど前の中堅大学は生き残れるかどうかの瀬戸際、一流私学もあの手この手で学生を集めないと生き残れない時代です。そうした状況で、日本を代表する大学も呑気にしてはおれないのです。そうした中で大学ブランドは、学生を惹きつけるための非常に重要な要素です。これを守りたかったんじゃないでしょうか。
 どちらにしても、私はこう思います。
 騒動を起こした人は、たしかに悪いことをした。しかし、教育機関であるなら、その学生が全うになるように指導するべきだろう。それを、犯罪者として社会から排除したのは、教育機関として正しい行動なのか、と。もっと寛容に対処できなかったのだろうか。
 日本全体に言えることですが、この国は、イレギュラーなことへの寛容さが欠けており、一方で過剰なまでの感情的な潔癖症の塊になっているのではないでしょうか。
 先般の原発事故についても、瓦礫受け入れを表明した自治体では、どこもよくわからない市民団体が大騒ぎをして「受け入れ反対」を表明しています。表向きは、政府の受入基準が甘いとか不透明だとか言っていますが、反面、自分達はどの基準が適正なのか答えられずにいます。口をそろえて「政府が有識者と研究/議論を進め、住民が納得する基準にしてほしい」と言っていますが、そもそも答えられない人が納得する内容って「全く放射能ありません」しかないんじゃないのでしょうか。畢竟、「よくわからなくて危険なものは、うちの周りに持ってこないで」っていうのが本音なのでしょう。
 これは、ごみ処理場問題で、よく住民訴訟や地域間騒動がおこりますが、それと同じ事です。自分たちに火の粉がかかるのが嫌なのです。しかも、火の粉かどうかもわからないのに。
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 近くにショッピングモールができると、車が増えて人身事故が増える、危険だから反対
 高速道路が近くにできると、排煙で子供たちが喘息になるから、反対
 学校が統廃合されると、子供の通学時間が増えて事故に遭う可能性が高くなるから、反対
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 これらは、原発事故の瓦礫受け入れと同じレベルの発想です。
 ロジック的には
 +1今まで無かった要素が増える→+2悪いことが起こるのではないか→+3自分の生活を守るには、今の環境そのものの保持が最高条件→+4だから拒否しておこう
 という流れでしょうか。この流れで言うと、結論は+4なので、どのような要素でも反対することになります。この流れになるのは、思考が停止しているからです。新しく増える要素のメリットとデメリットの計算ができていない。結論から言うと、こういう人々は、思考停止の硬直体質ってことでしょう。こういう人、増えていませんか。人は歳を取り過ぎると保守的になるといいますが、社会全体が老化している証拠かもしれません。硬直体質は短期間では、社会の安定化のための機能となりますが、長期間では、環境の変化に対応できず、社会を衰退させていく機能になると思います。
 昨年の今頃、姜尚中教授の講演を聴きましたが、その時にこんなことを言っていました。
 「いろんな人が混ざり合う多様な社会は力強い。しかし多様さを持つには、その社会を構成する個人個人にとっては異質なものを受け入れることになる。受け入れるには、多少の違いや違和感に対して寛容にならないといけない。」
 そして、日本人は寛容さが足りないと言っていました。もっと寛容さを持たないと、無菌状態で育った生き物のように、ちょっとした変化やストレスに適応していけないだろうと。
 姜尚中教授講演内容
 福島からの瓦礫を受け入れることは、やはり心配がつきまといます。しかし、今、受け入れを表明している自治体の住民が騒いでいるのは、潔癖症からでている硬直的な拒否反応だろうと思います。大体、あんなに馬鹿騒ぎしている様子を被災者が見たらどう思うだろう、とあの人達は思わないんでしょうか。「絆」とか「いつも一緒」という言葉は嘘だったんだろうか、そう感じずにおれません。
 最近、日本は益々潔癖で硬直的になっていると感じます。
 先日、パブリシティー権について司法判断がありましたが、個人に直結している肖像権とゴッチャになった人もおおいと思います。肖像権は、明文化された権利ではありませんが、学生運動盛んだったときに判決の中で「みだりに写されない権利」という考えが示され、世間広く認知されるようになりました。憲法や法律は、基本的に「権力VS個人」の関係において判断され、民法で権利関係が定められる個人同士の争いに直ぐに適用されるわけではないのですが、肖像権は、「みだりに写されない」権利として保護されるべきもののようです。
日本写真家協会会報誌
 しかし、街の写真を写していて、歩いていた個人がたまたま写ったからといって訴えられたらたまりません。もともと警察がみだりに個人を写して監視させないようにするための権利規定だったのに・・・
 この権利を普通の生活の中で言葉に出して、クリエーターを脅かす人達が沢山います。まったく、困ったことです。これこそ、潔癖症国家の身近な代表例でしょう。
 潔癖症国家の事例は他にもあります。新型インフルエンザ騒動が起こった年、患者が出た神戸で、ビジネス・観光客が激減しました。当時の2chでは、すでに神奈川県や東京都で疑わしい患者が沢山いたが、ちゃんと検査せずにタミフル投与で治療してしまったという話が沢山出ていました。そして、ついでにこんなコメントも「神戸の医者は真面目だな。ちゃんと報告したんだから。東京で患者が出たなんてことになったら、パニックが起きただろう。」
 当時、東京に出張してビックリしました。東京駅に降りると、皆、白いマスクしているんで・・・。会議も全員マスクして出席しているし。某国際健康機関の方が「マスクは菌を飛散させないのには効果あるけど、どうも日本人は、感染らないためにマスクをしているようだ。日本人の行動は理解出来ない。」と言っていました。感染りたくないという気持ちだけで、マスクの機能をちゃんと理解しないままマスクしていたとしたら、単に感情に振り回される潔癖症の一面を持つ日本国家、ということになります。そんなに日本は幼稚なんだろうか。こんなので、日本は大丈夫なんだろうか、と考えます。
 TPPに加入すると、これまでより東南アジアとの交流(経済、人材、食料など)が盛んになってくるでしょう。知らない物や人が増えてくるだろうが、その時、日本人はどうするでしょうかね。相変わらず潔癖症を貫いて、外国からの異物を拒否するんでしょうか。
 少子高齢社会の先進国、日本。年寄りが増え、社会に活力がなくなり、曳いては社会制度改革への意欲が高まらない状態が続くと、日本全体が新しい冒険には懐疑的になり、行動は過去の経験に頼るようになるでしょう。そんな国に未来はあるでしょうか。
 私は、TPPを機に、海外から「経済・需要」を取り込むのでなく「若い力」を取り込むべきだと考えています。文化も言葉も違う若い人が入ってくると、色んな障害が発生するでしょう。しかし、その軋轢が社会に良いストレスを与え、変革へと導く力につながるはずです。老化して硬直化する日本が、未来に向かって活躍する国になるには、イノベーションが不可欠です。企業はすでに人材を国際化し、技術だけでなく企業全体のイノベーションを起こしています。それに乗り遅れた企業が、今、大型赤字決算になっているのではないでしょうか。それら企業も、今、急速に「日本流へのこだわり」を変革しようとしています。これが、脱皮というか、生まれ変わるというか、Rebornなんですね。
 震災後、「がんばろう日本」という言葉が多かったんですが、震災からの復興が本格化する中で、今大事なのは、もとに戻すのではなく「新しい時代への基礎をつくる」ことが大事なのではないでしょうか。
 生まれ変わるタームに、日本は来ていると思います。
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  潔癖から寛容へ
  硬直から柔軟へ
  回復からRebornへ
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 わたしは、そう思っています。