ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

電気温水器が壊れた

今日いきなりお湯が出なくなった。我が家はオール電化。電気温水器が壊れたらお風呂に入れない。とっても困っている。
製品は三菱電機製。さっそくカスタマーセンターに電話をしたら、明日朝連絡してもらえることに。とりあえず一安心。
さて、今回の事で思い出したことがあった。私は結婚する前に住んでいた実家も、電気温水器を使っていた。そして壊れたことがあった。しかし、購入したのは家の前の電器屋だったのですぐに修理をしてもらえた。
世の中がスケールメリットを求めたため、街の電器屋さんの多くは潰れてしまった。そした代わりに「顔が見える」つながりをなくしてしまった。電話やネットではつながっているけど、親身になって相談できる相手がどんどんなくなってきている。

高度成長期の昭和30年から40年代、日本で一番トレンドだったのが都会でサラリーマンになること、そして女性は結婚して寿退社、団地妻になることだった。しかし、その結果、現在の地方都市の急速な高齢社会を招いている。多くの高齢者の孤独死を生んでいる。子育てを孤独にしている女性が、向き合う相手が子供しかいないことから不幸な事故を引き起こしている。一定の範囲に人口が密集しているというのに、そこに住む人たちはつながっていない。コミュニティが崩れ社会は完全にシステム疲労を起こしている。人は、人と人が寄り添うところから人という漢字ができている。人と人がつながる「共助」がない社会は、人にとって心が休まる場所になるはずがない。都会には共助が足りない。なぜだろう。

阪神・淡路大震災直後、被災者の方がこう語っていたように覚えている。「私たちは多くの人命と財産を失った。しかし、得たものもあった。それはどこかで私たちを助けようとしてくれている人がいるという安心感だった」阪神・淡路大震災は、「ボランティア元年」といわれるきっかけとなったように、今日のボランティア活動の基礎づくりのきっかけとなった。あの地震が無ければ中越沖地震などでも、あれほどスムーズに救援体制がとれなかっただろう。そのスムーズな救援体制が可能になったのは、他ならぬ名もなき多くのボランティアがいたからだ。
兵庫県佐用町の台風被害。街は泥に埋もれてしまった。住民はもちろん、行政、消防、警察、社協も機能を完全に失った。しかし、被害が明らかになって間もなくしてから、救援拠点となるボランティアセンターが町内に立ち上がった。それは、被災地以外からやってきていたボランティアや域外の社協メンバーだった。阪神・淡路大震災をきっかけに、兵庫県の人たちは、どうも「いざというときの共助」を何とはなしに心に留めているのではないだろうか。だから、すぐに現場に駆け付けたと思う。それはある種の使命感がないと無理だろう。
兵庫県の場合は、地震が一つの共通経験として県民に浸透しているので、こういった「共助」の構築が自然にできた。では、あのような強いインパクトのある経験を共有しない都会の人々には、共助を構築することは無理なのだろうか。
人口減少社会では、人と人は益々孤独になっていくような気がする。それを防ぐためにも人が人とつながった社会を再生することは可能だろうか。かつて東京では「まちづくりワークショップ」が盛んに行われていた時期がある。ヒントはこのあたりにあるように思う。キーワードは「子供」と「退職者」にある。そのことは、また次回の機会に書こうか。

つなげる力

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