さくっと書くと
- 仕事の関係で淡路島のウェスティンホテルに宿泊、そこでヨガインストラクターとお会いした
- 彼女と話をしていると、自分自身の緊張が解けていく感覚が
- そのおかげか、夜は熟睡。そして朝寝坊するつもりだったが
- 朝5時に写真にある朝日に照らされ、目覚めた
- そして色んなことを珈琲飲みながら考えた。これもヨガインストラクターからうけた影響が原因?
仕事の関係で、淡路島にあるウェスティンホテルに泊まりました。
当日は夕方までミーティング。それから野外BBQによる懇親会。その後、2次会。当然、就寝したのは午前1時を回っていました。
次の日は朝から会議が設定されていたのですが、ホテルと同じ会場での会議だったのでゆっくり朝寝坊してやろうと思っていたんです。
しかし、朝5時に朝日が部屋に入ってきて、目が覚めてしまいました。その時にiPhoneで撮影したのが、この写真です。
朝日を全身に受けたのは、本当に何年ぶりでしょうか。
真東に窓のある部屋がある実家を出てから、まともに朝日を浴びて目覚めたことがありませんでした。
朝日を浴びると、体の中が勝手に動き出します。朝日は体内時計が修正すると聞いたことがありますが、体感的に分かるような気がします。
今回の会議には、ヨガインストラクターの方もおられまして、色々興味深いお話をかじり聴くことができました。
ヨガマスターの方と直にお会いするのは人生初なのですが、第一印象、彼女に吸い込まれるような感覚を覚えました。
正確には、委ねたいという気持ちです。
いやらしい意味ではありません。
たぶんその原因は、彼女の「ゆるみ」だと思います。
ゆるみというは、緊張感がほぐれているということです。
リラックスというレベルより、もう少し高いと思います。
おそらく、緊張はお持ちなんでしょうけど、必要最低限の緊張だけ残してゆるんでいる、リラックスしているけど、必要最低限の感覚は研ぎ澄まされている、そんな感じでしょうか。
こっちは緊張していました。初対面の方ですから、どうお話を進めたらいいのか、傾聴レベルだって上げるわけです。
だけど、お話をしていると、緊張が彼女に吸い込まれている感覚が起きるんです。緊張がほぐれるのではないのです。自助的ではなく他助的です。そしてそのうち、緊張が解けていくんです。それが心地よくて、すべてを委ねたくなります。
ヨガにハマる人って、たぶんこういう感覚を感じたことがあるんじゃないかな。
本当に不思議な体験でした。
そして、緊張が解けた後、部屋に帰って寝ましたが、枕が変わると眠れない小生。瞬時に深い眠りに入っていたようです。
ウェスティンホテルのヘブンリーベッド(シモンズベッド)の効果もあるんでしょうけど、それだけではないと思います。
そして朝、朝日を浴びて目覚めた私は、シャワーを浴び、珈琲を口に運びながら淡路夢舞台と大阪湾の風景をベランダ越しに見ていたんです。
そして思いました。
コロナ禍で、一度に私たちの生活は変わりました。
大勢が一度に同じ場所へ集まって同じ時間活動するこれまでの生活。いわゆるオールドノーマルが、今、コロナ禍で変わりました。
リモートワークだけでないです。
買い物や学校、旅行も、もう団体行動で動く時代ではなくなりました。
今までは、お上が将来のビジョンを示し、施策を提供することで社会はまとまってきました。
しかし、コロナ禍で傷んだ今、これからのニューノーマルの時代、個人が個人で考え、個人の自由とそれに伴う責任、それに付随する権利を秩序的に利用しながら、人生を謳歌していくことにならざるを得ないんだと思います。
今世界は二つの方向に流れています。
個々人を統制して社会全体の安定と安全を作る「超巨大政府・管理国家」と、個々人、各企業が持つ得意分野を持ち寄りながら、広がり切ったグローバル社会をワンワールドに切り替えるため、小さな国家と大きな個人・企業という枠組みで社会を作る「小さな政府と新しい個人主義社会」。前者も後者も歴史上は既にあった形です。
超巨大政府は、今では中国とかロシアですが、昔なら夜警国家だったスペインとかドイツ帝国、大日本帝国のような帝国主義国家。
個人主義社会の代表例はローマ。
ただ、ICTの普及で地域や時間的範囲は現代の方が途轍もなく広い。
どちらにしても、どちらとも栄枯盛衰をおこしているんですね。国家や社会のシステムが悪いと言うより、運営する人間たちの暴走が滅亡の原因なのですが。
そんなこと、朝日を見ながら思っていました。
こころや体がゆるむと、なんとなく視点が高くなります。
日々の雑音によるストレスが緩和されるように思います。
これもヨガインストラクターから受けた影響なのかもしれません。今度お会いしたら、正面から向き合って、もっと色々教えてもらいたいです。なにか変わるような気がします。
コロナ禍だから、この出会いがあったのかも、そしてこう考えるようになったのかも。