葉に包まれ、ひっそりと咲く姿から静御前にたとえられ「一人静」と呼ばれる山野草。
今年のGW撮影の一番の収穫。
といっても、野生種ではないのが残念。
実家の母が鉢植えで増やしていたのをお裾分けいただき、家に移植したのが写真の一人静。
半年ほど前、山野草同好会の方とお話した時、最近はめっきり野山で山野草に出会わなくなったと嘆いておられた。温暖化の影響もあるが、心無いハイカーに持ち帰られることで、野生種が全滅するケースが多いらしい。一人静も例に違わない。
温暖化も盗掘も、両方とも人間の業が原因。なんとも情けない。
一人静は、今が最盛期のセンリョウ科の植物。ここ数日の暑さでくたばらないかと心配しているが、垣根の木陰に守られ、まだ涼しげな顔を見せてくれている。
『しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな』
(しずの布を織る麻糸をまるく巻いたおだまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)
一人静をみていると、義経の死後、京の都でただ彼を思い生涯を終えたであろう彼女の孤独で寂しく、しかし一途で健気な女性の可憐さを感じてしまう。
この植物に「一人静」と名付けた人も、同じ気持ちだったのだろう。