先日、長らく連絡をとっていなかった方へ手紙を出しました。
宛先は、亡くなったお爺ちゃんの弟さん。私は幼少の頃、夏休みに泊めてもらったりした方です。
今回、手紙を出すにあたって、近所で撮影した満開の桜の写真を添えました。
その後、おじさんから返事があったのですが、家の他の方が代筆してくださっていたようです。
おじさんは、手紙の中で、写真の桜の立派さを讃えていました。
めっきり足腰が弱くなり、外に出るのもままならないという言葉が書かれてあったのを見て、少しだけですが、おじさんに春を届けることが出来たのではないかと感じました。
私が写真を撮り始めたのは、叔母が実家に置いていたキャノンのCanonBoy(マニュアル)を使い、遊びがてらにシャッターを切っていたのが始まりでした。
その後、フィルムをカメラに入れ、家にいた犬をモデルに、近所の子供たちを、祭を、風景を・・・そして高校生になって写真部に入り、ニコンのF301を購入しました。高校3年間は、写真漬けでした。コンテストにも何回か応募しました。しかし、大学生になり、費用面から写真を止めました。大学の写真部にも見学に行ったのですが、私の趣味とはかけ離れていました(私が目指す土門拳と真逆の世界だった・・・と言ったらカッコよすぎますけど)。
それから10年近くブランクがあり、子供が出来たのをきっかけに購入したのが、FinePixF10。とても奇麗に写るデジカメで電池の持ちも良く、今でも重宝しています。
なんとなく再開したカメラですが、今回の事で少しわかった気がします。何故、私は写真を撮りたいのか。
人に喜んでもらいたい。
人の心を和ませたい。
自分と他人を結びつけたい。
共感したい。
何より、皆で楽しみと喜びを分かち合いたい。
最近、コンテストに応募しても、なんとなくスキッとした気分にならなかったのは、作品を撮影していたんです、きっと。
写真は作品ではなくて、喜びや楽しみそのものなんです、きっと。
だから、おじさんに送った桜の写真は、おじさんと私の間に、同じ感動を共有させてくれたんだと思います。
これから写真を撮るときには、この原点を忘れないようにしなければと思います。
と、ちょっと生意気な事書いちゃいました。