新学期が始まりました。
ストレスですよね、長期間の休み明けって。
集団で生活していると、基本的にトラブルとか嫌なことに出くわします。
嫌なことを避けてはいけないって、よく言いますが、本当ですか?
こんな本、皆さん知っていますか?
この筆者、ほんとうに逃げまくった人生をすごして、最終的に自分の好きなことで飯がたべられるようになったみたいです。
人生、一生懸命に仕事や勉強していれば、どこかで大成するわけです。
努力は成功の素ですから。
じゃー、なにを一生懸命にするのか。
嫌いなことを我慢して自分のものにして大成する。
これって日本人的にはエライ人の典型ですよね。
けど、それは、結果的に我慢の限界を超えないもの(我慢できるもの)で頑張ったからじゃないかな?と思えるんです。
人生、楽しいことと苦しいことは半分半分のはずなのに、ずーっと苦しいって思う環境にいるということは、ひょっとしたら自分がいるべき環境じゃないのかもしれませんよね。
淡水魚は海水で暮らせません(淡水、海水がまざるところにいる魚はいるけど)。
鳥は地中で暮らせません(巣をつくることはあっても、モグラにはなれない)。
植物は洞窟で暮らせません。
そう、人だって同じじゃないですか?
あなたが今暮らしている環境は、あなたが適応できる環境なのでしょうか?
「我慢するのは、美徳」
これって、儒教的な発想ですよね。
日本人は、これにとらわれすぎのような気がします。
我慢を美徳って、誰が決めたんですか?
これって、組織が個人を利用するときに、非常に有効なフレーズだと思いませんか?
儒教が生まれた昔は、社会が安定しておらず、国がまとまっていなかった。
だから、こういう発想で人々を紀律させ、社会を安定させ、国をまとめるのに効果的だから必要だったのではないでしょうか?
でも平和安定な現代。これを強く人々に訴えて強いる必要は、少ないのかもしれませんよね。
大体、「我慢は美徳」だって宣う人って、教師でしょ?宗教家でしょ?会社組織の幹部でしょ?親でしょ?
みんな、権力者じゃないですか?
彼らにとって都合がいいので、そう言って、支配したい人々を洗脳しているのかもしれません。
この視点から考えてみてください
「学校行くのが嫌だ」→休んだって、いいじゃない。
「会社を休みたい」→休んでいいじゃない。
「転職したい」→あなたのやりたい仕事を見つけてください。
これって、とっても無責任な人の発言みたいです。
でも本当にそうですか?
「我慢は美徳」って、自分以外の人が自分に対していう機会が多い。
「我慢は美徳」って、他人から言われることが多いので、畢竟、自分の考えや基準じゃないことが多い。
大切なのは、他人に言われた成功のための基準に従うのではなく、最終的には自分で考えて自分で決めて自分に責任をもつことが大切なんだと思うのです。
自分が自分に責任をもって休むなら、なんら問題ない。
自分が選択した結果、人生9割逃げて暮らしたってよい。
結果、最後にあきらめがついて静かに暮らすことになるのか、素晴らしい運命に出会うのか分かりませんが、自分が納得する(あきらめる)結論に必ず至る訳です、自分で決めたことですから。
人生、それでいいんじゃない?
そんな風に思える本です。
一度読んでみてください。