ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

今、読むべき本

憲法の力

憲法の力

昨日、図書館で借りてきた「憲法の力」。
平和憲法ネットワーク・やまぐちの三宅義子さん他が編集している。
6名の有識者が寄稿したこの本。是非、皆さんに読んでほしい。
憲法」というと、何やら難しいことが書いてあるし、自分たちの生活には関係ない。そう思う人は多いと思うし、私も最近までそうだった。
しかし、国民投票法が施行されてから放置されてきた憲法審査会が野田政権時に設置され(私は、野田さんは本当に意志の強い政治家だったと感心している。もっと評価されるべき政治家の一人だと思う。)、今度の国政選挙では議論のネタの一つになるに違いない。
そう考えるようになり、最近、興味を持ったのである。
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憲法とはなにか」。司法書士行政書士など、憲法が試験科目になっているものの勉強をした人なら、「国家権力を対象として、国家権力のはたらきかたに規制をかけるもの」と答えると思う。その憲法憲法により作られた「立法、司法、行政」に先立って存在する憲法制定権力を超えることは出来ない。その憲法を超える権力であり憲法を変えることができる憲法制定権力の主体は、国民である。
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今回、自民党が96条を変えようとしているのは、保守合同時代(55年)に、自由党民主党が合併して自民党が誕生した時に、憲法改正発議が可能な状態であったにもかかわらず、結局、マスメディアや国民世論等の反対意見が強かったことにより実現出来なかった反省が原点にあると言われている。
96条の改正については、独裁国家への回帰だとか言う人もいるが、それは極端な人の意見として、国民は真剣に憲法とはなにかを考えて、今回の選挙に臨まないといけないと思う。
この話が出てくると、改憲派の人から「憲法が一度も変えられていない国は、日本だけ」という意見が出てくる。まさに横並び意識の強い国民の意見だと思う。必要があったのかなかったのか、その十分な議論が抜け落ちている(議論していないとは言わないが、結論をソコに持ってくるのが、稚拙だと言わざるを得ない)。国立大学の教授すらがこの調子だから、日本の大学が世界から見てレベルダウンしているのは、仕方ないのかもしれない。
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国家権力、行政主体というのは、そもそもの考えが善意であっても、自分たちが作った制度によってミスマッチが生じていても、制度によって国全体や地域社会をコントロールしたがる。
権力を持っている行政は、こうある方が「正しい」と一旦組織的に判断を下すと、それを変更しづらい。それは、働いている公務員云々の話ではなく、従来型の日本の組織がそういう体質だからである。
こうした中、色々と国民は不平不満があっても我慢してきた。それは、ある程度、豊かに生活出来ていたからである。一部で騒いでいる人は、全学連の残党だとか、一部政党の党員だとか、そういう目で多くの国民は、同情しながらもあるいみ無視してきた。そして、これまであまり暴動などの騒動も見られなかった。
しかし、最近、年越村や原発反対運動など、マスコミで報道されない部分も含めて、騒動が多くなっているような気がしませんか?
デフレ経済や若年者や高齢者の就職難などが原因だと片づける人もいるが、はたしてそうか?原発の反対運動など、あきらかに西欧の活動家が入り込んできている。社会は、国家、行政が思う以上に複雑に、そして世界共通・単一化してきているのではないか。そのため、国家や行政がやってきた従来型の施策(上から目線施策)が、この国に住む人達(外国人も含む)のニーズや実態と、大きな差異が生じてきているのではないか。この差異がさらに大きくなってくると、そのうち、今のブラジルのような事がおこるやもしれない。
これからの時代、書物に書いてあるような形式的な話ではなく、本当の意味で、国政、行政は、国民・住民の手でコントロールしなければならないのではないか。地域の行政は地域住民が直接行う。私たち国民が、住民が主体となって行政を行わないと、もう無理なんじゃないか?高度成長時代のように、税金払ってあげるから、国政や行政はお任せします、では、もうダメな時代になってきたのではないか。
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そういう意味で、今話題になっている憲法改正議論について、今こそ憲法制定権力をもつ国民が真剣に考えていかなければならないと思う。
それを考える意味で、この本ぐらいは、読んだらどうかというのが、本日のブログの趣旨である。