ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

未来工業 創業者・山田昭男(やまだ・あきお)氏(1月20日放送分)

 久しぶりに痛快な親父さんが登場したという思いがした。
 そして、何故か懐かしい。
 何故か懐かしいという表現は、阪神淡路大震災の年に今のところへ就職した小生にとっては、このような親父さんと職場で出会ったことがないのに、何故か懐かしい感じがしたからだ。
 テレビを観て思った。山田さんは、完全なる人間主義の人であると。
 
人間は馬ではない。人参をあげてから走らせないといけない。
 非常に心響く言葉である。
 プラザ合意以降、日本人はアングロサクソン型の競争社会に移ってきた。それは、遊牧民族が農耕民族を支配してきた法則に従うことを意味していた。結果、日本は行き過ぎた競争社会に入り、多くの人々が出口の見えない競争に勤しみ疲れ果てている。
 「人間は馬でない。人参をもらってないのに、人参あげるから走れっていわれても、本当のやる気はでない」
 そう。この言葉で小生は気がついた。人事の成績主義。あれは詐欺師が使う手と同じでないか。最初から“評価などできない”のに、あたかも頑張れば評価されるかのように社員に言い鼓舞しようとする。だから、成績主義の導入に、誰もが疑問を感じるのである。ホントかなって。
 未来工業では、最初に飴を与えるようである。その一つが全員正社員で、その他の一つには有給休暇取得率の高さにあらわれている。そして、その人が会社を信頼する。それが能率の向上につながるのだという。信じられない人の方が多いかもしれないが、昔の日本は、こんな信頼関係がゴロゴロしていたようである。村の長は自分の富を、村人のために使っていたという。秋祭だといっては、村人へ何やかやと振舞ったそうである。だから、村人は、長を慕うようになるのである。この、非常に人間的な関係が今の日本にはない。
 山田さんは、これを私に気付かせてくれた。
 
常に考える
 会社の中に張り出されている言葉である。
 命令でもなく、呼びかけでもない。能動的行動の表現である。
 つまり、社員は自立し、能動的に、常に考えるのである。
 能動的に考えると、嫌なことも肯定的に捉えられるものである。人間の脳みそは、本当に不思議な回路を持ってる。
 「ようは、モノは考えようさ」というけれど、本当にそうなのである。
 常に考える。これが、この未来工業の強さの秘密ということだ。

人生が豊かでなくて、どうして仕事が充実する!
 山田さんは、未来工業は、ライフワークバランスだという。あくまで人生、生活が一番だと。
 人間、物質的に豊かでも精神が貧弱だと、幸せになりにくい。
 ユダヤ人の格言に、「友多きものは金少なく、金多き者は友少なし」がある。どちらが幸せかというと、そりゃ、金より友が多い方が幸せだし人生豊かだろう。金は金である。金でなんでもできるなんて信じている人は、本当に軽薄な思考回路しかもっていない。人生も、人も、社会も、何もかも金の尺度で測ってしまう、思慮浅いひととしか言いようがない。
 未来工業で働く人は、一家団欒で夕食を食べることが多いようである。そう、会社が大事なのではなく、何よりもかけがえのない、今の一分一秒を充実して生きること、楽しんで生きることである。
 こう書くと、必ずこういう人がいる。「じゃー、金いらねーんだな。金なくても幸せなんだな。何も買えないぞ、何もできないぞ」。しかし、これは余りにも幼稚である。中庸が何事も必要だからである。
 
社員を自立させることで、社員の個性を導き出し、会社を強くした
 村上龍はいう。未来工業は、未来形の企業である。
 多文化共生という言葉がある。色々な文化が混じりあってバランスが取れている状態をいう。
 多文化共生は、軋轢も生むが、活力も生む。
 個性が集まることで、多文化共生がおこり、会社に活力がうむ。
 まさに、今の日本の企業が生き残るための答えの一つがここにあるのだろう。
 だから村上は、未来形の企業と言ったのかもしれない。