カレーに納豆かけたら悪いか?

色々な植物の写真とコラムなどを書いています。植物写真は、ある程度の数をアップしたら1カテゴリーにまとめる予定。

モノクロとカラー

アンリ・カルテェ・ブレッソンは、カラーフィルムが世界で使われ出してもモノクロフィルムを愛用したと聞く。それは、当時のカラーフィルムの発色能力が不十分だったのも理由だったようだ。
個人的な意見を言えば、モノクロの方が写真が持つ魅力をカラーより引き出せる。モノクロは、非日常の世界。特に高性能のデジタルカメラが世の中に出現してからというものカラーの世界はより正確に、よりリアルになった。だからこそ、写真はその場にある現在をより正確にアーカイブするものになってきた。しかし写真の魅力というのは、そのアーカイブ力(りょく)だけではなく、そこに込められるメッセージ力(りょく)もあるのではないか。

Sony サイバーショットDSC H-50 モノクロモードで撮影)

Sony サイバーショットDSC H-50 カラーモードで撮影)
上記の2つの写真は、モノクロとカラーで撮影した(デジタル加工ではなく、それぞれモノクロとカラーモードで別に撮影)。撮影者である私は、これを撮影するにあたって冬の田園の寂しさと寒々しさ、そして春を待ちわびる生きとし生けるもののエネルギーを表現したかった。
写真自体の評価はさておき、(;一_一)・・・ どちらの写真が寂しさと寒々しさを表現出来ているだろうか。私自身はモノクロの表現力が優っていると感じる。モノクロは、写真が見る者に送るその場の情報がカラーより少ない。白黒のコントラストだけで表現するモノクロとカラーとでは、見る側に与えるその場の臨場感に大きな差が出来てしまう。しかしその差は、見る側のイマジネーションへの刺激に影響するのではないだろうか。情報が少ないと、人はイマジネーションを働かせ不足している情報を補完しようとする(ネット上では脳内補完と表現されることがある)。
情報が多すぎるというのは、サーバーの意図をレシーバー側に伝えるには不便をかけることがある。
先日、賀川豊彦生誕100周年を記念するイベントに出かけた。そこで、100年前に活躍していた賀川氏のある言葉が紹介された。「今の人は豊かであるが、物が多く選択に迷うことが多く、ひいて心は豊かでなくなった。」与えられすぎることは、人間に苦痛を与えるのかもしれない。かつて学生の時に読んだ倉本聡の「ニングル」という本に「知らないでいる権利」を訴える場面がある。余計なことは「知らせないで欲しい」というのだ。簡単に言うと、知らぬが仏を保証してくれということだ。知りたければ自分で情報を探しに行くし、なければ脳内補完する。その力は、人間がここまで文明を発展させてきた原動力だったのではないか。
写真も同じかもしれない。先日、東京写真美術館に出かけたが、一部のフォトジャーナリストは、今だモノクロを使っている。モノクロだから訴えられる表現が写真にはある、そうだからだと私は確信している。