ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

機密本文に関する証言についての考察

外務省内に核密約本文を保管 元外務省幹部が証言
この話には、2つの問題がある。一つは国民に対する情報公開についての問題である。民主国家であれば、政府が有する情報は、国民から求められてたら当然提示すべきである。ただ、外交上、その公開が安全保障等に大きな影響を与える場合は、この限りでない。この場合はどうか。非核三原則を貫いている日本政府にとって、核兵器を持ち込ませないことは重要なタスクである。また、大平総理時代なら、中国、韓国、朝鮮をはじめ、アジア諸国との友好的な外交を展開するには不可欠な事項である。逆に、冷戦時代に米国との同盟関係を強固にするためにも、この事項は重要である。つまり、政府にとって密約は不可欠であり、外部に対して秘密にしなければいけない事項だったのである。しかし21世紀に入り、中国やインド、ブラジルの新興国の台頭が世界の勢力図を書き換えている今、グローバリズムの実質的な意味も変化してきている。今、日本政府がしないといけないのは、今の時代に合った政策選択をすべきであり、過去の政策に対する総括と清算をすべきである。だいたい、アメリカの高官までも、密約の事実を言っちまっているんだから、ここは、いったん過去を清算して、これからの方針を打ち出すべきと思う。それをするためには、まずは国民への情報公開をアメリカのようにきっちりすべきだと思う。たとえ、50年間の封印期間を設けてもである。
二つ目は、守秘義務についての問題である。国、地方、外郭団体(みなし公務員)に勤める者は、仕事上知りえた秘密(単に誰々がどこに住んでいるというレベルのものは除かれる)は、墓場まで持っていかないといけないと法律で決められている。しかし、最近、ペラペラ喋る人が多くなっている。そこには、罰則を受けてでも自らの正義感で発言する者もいる。今回の証言はその類かもしれない。だが、国民の安全保障にかかる、しかも根幹部分にかかってくるような話を、単に個人的な思いや考えで短絡的に漏らしてしまっていいのか。こういう人たちが最近増えている。国家機関で内部統制がとれないなんて、なんと脆弱な国家なんだろうと、世界中から笑い者にされてしまうだろう。しかも、たかが共同新聞社の記者に対してである。国会の場であればわかる。しかし、これは単なる個人のミステイク的な漏えいだと思う。こんな人たちが官僚としておられるから、イージス艦の情報も、先端技術の内容も、他の国からマンマと盗まれるのである。役人たるもの、国家機関で仕事をする意味を、もっと重大に感じてほしい。この国の安全保障にかかる部分だから。この記事をみて、この2点をふと思った。