ともほ じゃーなる

まいにち の ものがたり

謹賀新年

正月である。
正月といえば、おせち料理に酒、初詣に初売、初笑いが定番であるが、最近、なぜか正月感というものが薄い。

そこで小生、少し理由を考えてみた。

一つ目 店が閉まらなくなった。:かつて正月といえば、商店街の店が閉まり、寺社仏閣以外での賑わいはなかった。しかし、最近は、1日目から初売りがあるし、人々は日曜日と同じ感覚で外出し、そして余暇を楽しんでいる。小生の小さいころは、正月になると、街の時間が止まったように、辺り一帯が静まり返り、家々から団欒の声が聞こえてきたものである。店が閉まらなくなったことで、正月になって街全体に喧騒が残った。

二つ目 人々が家から出やすくなった:自家用自動車が一家に一台だった時代、運転手はお父さんであった。正月になると、世のお父さん方は、酒を喰らう。よって、自動車の稼働率は、全体的に低くなっていたはずである。しかし今や、自動車は一家に複数あり、かつ奥さんが運転免許を持つ割合も増えてきている。よって、車の稼働率があがり、街の喧騒感が残った。


三つ目 多くの人にとって、正月が単なる休日になっている:正月は、新年の一年を親族が一丸となり乗り切ろうと決意をする日、また先祖へ親族が皆そろって新年を迎えられたことを報告する日であったはずだが、そういった事は核家族化が当たり前になった現代では無意味となり、単なる休日となってしまった。そして人々は、本来なら家で親族一同が料理、酒を喰らい、津々浦々、色々と情報交換、意見交換をすることもなく、皆外出先での食事、買物等に精を出し、結果、街の喧騒感が残った。

人によっては、仕事をしている場合もあろう。

かつて、日曜日等における定休日の感覚がなかった100年ほど前の日本では、お盆、彼岸、正月ぐらいは、丁稚を故郷に帰すために休みを与え、そして街全体が休止モードになっていたと思われるし、おそらくそうだったと確信しているが、現代はどうだろう。バブル崩壊以降、社会全体が妙な強迫観念や競争観念に駆られ、体や心を休めるタイミングを逸しているような気がしてならない。街の喧騒感が残ったままだと、騒音のない緩やかな時間の中で、自分自身の気持ちもリセットもできない。休日と同じように街に繰り出し、ちょこまかと動き続けることで、皆、一層疲れるのではと真剣に思う。

小生も、例に違わずである。

日本よ、少し喧騒を捨てて、お休みしよう。リフレッシュ☆日本!!