カレーに納豆かけたら悪いか?

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真相の探求

周りにある出来事で、事情等がわからないため、もやもやする事がある。
人間は、不明確な出来事に関する真相の探求をしたくなる。
特に最近は、インターネットが発達して不特定多数の人間が1つの掲示板で匿名のまま情報交換できるツールが発達した結果、不明確な情報をもとに、多くの人間が情報交換を無限大に行っている。

その情報の種類は、ニュース速報からテレビ番組の裏事情、晩ごはんのネタまで、数えだしたらキリがない。情報交換のレスポンスも恐ろしく早く、ドラマの番組にレギュラーメンバーが出ていないと、番組終了後に「○○の事情のようだ」とか「どうも、病気のようだ」など、業界人を騙る者までが投稿してくる。真実は、誰にもわからないのに。

こうこういう状況に囲まれると、被書き込み対象者はたまらないだろう。特に真実が喋られない状況に置かれることが多い芸能人には、つらいことだろう。

人は探求する生き物である。だから、数千万年前に、アフリカの大地を飛び出すこともでき、今日の繁栄を築くことができた。
私自身、周りの事で「どうしたんだろう」「何でだろう」と感じる出来事に明確な理由がない、または秘匿されている状況は、気持ちがすっきりするものではない。

だから、私は思う。不明確な事象に関して、大勢の人間が無責任な議論を始めてしまい、その事が本人も含め多くの人間の負担になっているようなら、出来るだけ早く可能な限りの正確な情報を与えたほうが良いのかもしれないと。でなければ、「人は月に行っていなかった」というような、大勢の科学者を冒涜するような話が、多くの方に信じられてしまう可能性がある。一度信じられてしまうと、それを覆すはずの真実すら虚偽に駆逐されてしまい、さらに多くの方が傷つく可能性だってある。
逆に一層のこと、人の噂も75日と決め込んで、歴史から忘れ去られるまでじーっと我慢の子でいるかである。

このように考えていくと、人がもつ真相の探求に適切に対応するのは、難しい問題だと思う。